2016年03月09日

震災、原発事故…福島県から神戸へ。避難生活5年の小貫ちかこさん

今朝の「奈月の大発見!」コーナーは、東日本大震災から丸5年となる日をあさってに控え、神戸で避難生活を送っていらっしゃる福島県の小貫(おぬき)ちかこさんをゲストにお迎えしました。

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当時0歳10ヶ月だったお嬢さんとともに、震災3日後に福島を出たとおっしゃる小貫さん。神戸にお住まいのご友人のお声掛けで神戸にいらしたそうです。「(周りは)皆さん阪神淡路大震災を経験された方ばかりで、本当に良くしていただいています。神戸はとても素敵なところだなと思っています」と、こちらが感謝したくなる言葉も聞かせてくださいました。

そんな中で小貫さんは、お仕事をしながら「べこっこMaMa」のメンバーとしても活動されています。

「べこっこMaMa」とは…
福島や仙台、茨城などから避難してこられたママさんと子どもたちのグループ。神戸の子育て支援団体との交流の中で「支援を受けるだけでなく、自分たちの足で立ってできることを」と設立されたそうです。お祭りなどのイベントで出店しつつ、メンバー手作りの雑貨や神戸のパティシエと共同で作ったミルクジャムやトマトジャムを販売なさっています。

ゆったり明るくお話くださった小貫さんですが、ご主人は今も福島県に。「家族が揃って生活できて『ただいま』『おかえり』と言えて、普通に暮らせる幸せをいつ取り戻せるか」と、原発事故が隔てた家族の距離に苦しむ胸の内も明かしてくださいました。

軽々しい励ましは違うと思いました。ただ、これだけはと思ってお伝えしました。震災を経験した神戸の人たちは東北の方々を応援していますし、ともに歩んでいきたいと思っていますと。

「べこっこMaMa」について知りたい、応援したいという方は…べこっこMaMaもしくは電話 070-5431-4035まで。
posted by 奈月 at 14:47 | 兵庫 ☔ | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月17日

1.17。21年。

気付けば新年。あまりに滞ってしまいましたが、この特別な日を境にblogも再開します。

2016年1月17日。阪神淡路大震災から丸21年を迎えました。

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午前5時。神戸三宮の東遊園地では「1.17希望の灯り」から竹灯籠への分灯が、兵庫県立舞子高校の生徒さんの手を介して行われました。舞子高校は、震災を受けて2000年に環境防災科を設置。卒業生が防災やまちづくりの分野で活躍しています。

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「アトリエ太陽の子」のブースには満開の一本桜の絵が飾られていました。花に見えるのは実は子どもたちの手形。東日本大震災の被災地へも赴いた作品です。

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私は西條遊児さんと共にラジオ関西の生中継を担当。東遊園地から追悼のつどいの様子やアトリエ太陽代表の中嶋洋子さん、アトリエの生徒さんで興国高校1年生の関根シオン君のインタビュー、長田区からは林アナウンサーのレポートをお送りしました。

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その後、HAT神戸での「ひょうご安全の日 1.17のつどい」へ。

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市立なぎさ中学校の生徒さんと大学生の歌った「しあわせ運べるように」には、今年も心揺さぶられました。

そして会場内「ひょうごボランタリープラザ」ブースで東日本大震災被災地の手作りグッズを、「べこっこMaMa」ブースで温かいお紅茶を購入しました。「べこっこMaMa」は、福島原発事故の影響を受けた地区から神戸に避難してこられているお母さんと子どものグループです。

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今年は、震災後に生まれたであろう若い世代が例年に増して多い印象でした。生かされていることの意味を噛み締めつつ、自分にできること・すべきことを改めて見つめ直す1.17でした。
posted by 奈月 at 18:04 | 兵庫 🌁 | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月28日

美術館・博物館女性学芸員が語る震災20年リレートーク

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『阪神・淡路大震災20年・語り継ぐこと/リレートーク』を聞きに、神戸市灘区にあるBBプラザ美術館へ。このトークは、神戸・阪神間の9つの美術館・博物館の女性学芸員が、美術展示に従事する人の目線で震災に関わる体験や経験をリレー形式で語っていく企画で、阪神淡路大震災20年の今年1月17日から6月にかけて各施設持ち回りで開かれているもの。

今回の担当は、県立美術館の江上さんとBBプラザ美術館の宮本さん。お2人ともが口を揃えておっしゃったのは「震災関連の展示には、実施する側もモヤモヤが伴う。そのモヤモヤが何なのか、話しても話しても答えは出ない」ということ。そして震災関連の展示は「震災がクローズアップされ過ぎて“美術”に辿り着かないもどかしさがある。ここを見て欲しいと思うところがあるのに、特にマスコミは、実施者=震災当事者という前提のもとで報道。周りからもそこで止められてしまう。イイ話で終わらせたくない、“その先”を伝えたくても…」マスコミの端くれとして耳が痛くもあり、ラジオ関西も同じような経験もありで複雑だった。

江上さんは、震災から5年後に震災関連の展覧会を行った際、或るお客様が感想ノートに、大切な人を震災で亡くしたことへの想いをひたすら綴られた長文を読み「辛い想いを呼び起こしてしまった。そんな展覧会を催してしまったんだ」と感じた痛みを拭えなかったと告白された。そして「震災が、その部分だけ切り取って放り投げることができないものなら取り上げるべき。それは使命感ではない。自然なこと」

宮本さんは、いま開催中の『震災から20年 震災 記憶 美術』展に携わる者として「誰も傷付かない展示もできるであろうなか(今回の展覧会は)来館者が傷付くこともあるかもしれない。承知している。ネガティブな反応も受け留める覚悟。人を大事にしながら、恥をかきながら、美術館として成長していきたい」と。

展覧会の感想ノートには「震災の記憶は微かだけれど、作品を観ることで自分が生きていることの意味を考えた」と或る若いお客様からの書き込みがあったそう。「“地震”は自然災害。“震災”は社会的なものであり個人史。人にも作品・施設にも刻まれてしまった歴史」と江上さん。 私たちはきっとこれからも答えの出ないモヤモヤを抱えながら、それぞれの時の流れの中でひたむきに前へと進んでいくしかないのだろう。

阪神・淡路大震災20年リレートークのFacebookページはこちら→https://m.facebook.com/relaytalk
posted by 奈月 at 17:21 | 兵庫 ☁ | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月27日

オトナの役割〜Berryz工房活動停止に思う〜

Berryz工房「活動停止はみんなで決めた。後悔はない」http://nikkan-spa.jp/805012

オトナが子どもや若者の将来を考える時、こういう点を忘れてはいけないのではないかと感じる記事。決して、単に航空券の取り方を教えるべきだとか保険の知識を身に付けさせるべきだとかいう意味ではない。ましてや、人を傷付けたり殺めたりしたのにもかかわらず、「未来がある」と過保護よろしく過剰な寛容を以って赦すことでもない。自分が何を知らないのかに気付く力、彼・彼女が、今後生きていくであろう社会の中で大事なこと・必要なものを自ら汲み取る思慮が育まれるよう手伝う…これがオトナが担うべきことの1つであると痛感するのだ。

記事に書かれている彼女達は少女時代を芸能界で過ごした。そこが特殊な世界であることを感じて個々に去っていった人はいるにしても、知らないままの若者も多くいるはず。だが彼女達は気付いた。正直、今の人気だからこの決断が受容された側面はあると思う。そうにしても、損得勘定で子どもを振り回し放り出すオトナもいる中で自ら気付き、しっかり考え仲間と話し合い、行動でき、それが受け入れられたのなら本当に良かった。

大好きだったMichael Jacksonが亡くなった後、私は「彼は1人で切符を買って電車に乗ったこともなかったのだろうな」と想像して切ない思いに駆られることがあった。幼い頃から仕事で世界を飛び回って喝采を浴び、通学はおろか建物の外で遊ぶこともままならず、成長してからの生活も「常軌を逸する」とさえ表現したくなるほど、何かと桁違いの人生だったから。華々しさが羨ましい以上に心が痛む部分も大いにある。ただ、Michaelがそのように“特別な者”のみ歩める道を進めた人であったのに対し、彼女らは、恐らく今後一般社会で“普通の女性”として生きていく人達。だから、今回の記事を読んでホッと安堵した気持ちもある。

もしかすると子どもや若者の方がオトナ以上に考え、悟っていることもあるのかもしれない。
posted by 奈月 at 21:01 | 兵庫 ☁ | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月17日

あの日を忘れず今を、未来を生きる。

1995年1月17日午前5時46分。

今日から21年目の歩み。

天の御霊に祈りを、

生かされている命に感謝を、

手招きする未来に希望を。

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posted by 奈月 at 07:20 | 兵庫 ☀ | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月02日

「エナリス」社とは関わりはございません。

ネットの一部で、私が「エナリス」という会社の社長の配偶者で社の大株主という話になっていると知人から知らされ、確認しました。
私は、該当する会社との関わりはありません。
先方のご迷惑にもなりますので誤解なきよう、またあやふやな情報がこれ以上拡がらないよう、切にご協力をお願いいたします。
posted by 奈月 at 22:49 | 兵庫 ☁ | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月18日

生かされているこの命

阪神淡路大震災から丸18年の1.17が過ぎ、
あの日から19年目の時を刻み始めました。
今年の1.17は、朝の生放送を終えたあと
「ひょうご安全の日のつどい」のステージで司会を務め、
夜には平松愛理さんプロデュースの『KOBE MEETING』を観に
劇場へ足を運ぶ予定になっていました。
しかし直前になって、ステージの司会は浅井千華子嬢にお願いし
『KOBE MEETING』にも伺えない状況になりました。
と言うのは、前々日の15日に伯父が亡くなったからです。

ご一族によっては、伯父と姪の関係ですと
ほとんど会ったこともなくお別れする場合もあると聞きますが、
私達は、従姉兄ら子世代が幼い頃から
それぞれが“第二の家族”のように、親しい付き合いを続けています。
伯父はそんな私達に心配をかけまいと、病を隠すよう伯母や従姉兄に指示し
家族とのみ苦しみを分かち合いながら、約1年の闘病生活を経て他界したとのこと。
親しいからこそ、心配を掛けたくないと配慮してくれた伯父の気持ち、
親しいからこそ、早く打ち明けて欲しかったと口惜しく思う私達の気持ち。
どちらが正当という問題ではありません。
ただ今は、言いようのない虚無感と悲しみに打ちひしがれており、
遺された伯母の心情を思うと、込み上げるものを抑えられません。
ごく身近な者の中に、急な悲報を心が受け留めきれず
混乱してしまった者もあったほどです。
私自身も、ちょうど生放送や外せない収録と重なっていたこともあって
15日から葬儀までの間は、眠ることもままならず
吹きすさぶ嵐の中で何とか踏ん張っているような心持ちでした。

そしてきのう17日、親族で伯父を天に見送りました。
出棺を前に涙に暮れる従姉の顔を
彼女の3歳になったばかりの姪が心配そうに覗き込み
「どうして泣いてゆの?どうして?」と何度も尋ねる場面に接した時には、
より切なく胸が締め付けられるとともに、
伯父の命は確かにこの子に引き継がれていて
命はこうして繋がっていくのだという、深い感慨も胸に響いてきました。
同時に、彼女や私の甥、親戚の赤ちゃんらの無垢な姿に
私だけでなく参列者皆、心をホッと和ませてもらいもしました。
一方同い年の従兄は、最後のご挨拶では時に声を震わせながら
時にグッと気持ちを呑み込みながら一言ひと言大切に繰り出し、
私達の知りたかった約1年間の日々や、
亡くなるまでの数日間に伯父がどのように生きたかを、
息子の目を通して伝えてくれました。
「○○くん、立派だったよ」と
後で声を掛けずにはいられなかったほどに、凛とした佇まいで。
伯父には、褒めてもらったことも叱ってもらったことも
他愛のない話をしてくれた時の笑顔も、その全てに感謝していますが、
かけがえのない命を希望の光として私達に遺してくれたありがたさを
しみじみと噛み締めています。

私の命は、両親や祖父母を初めとする
いわゆるご先祖様から繋がってきた授かりものです。
阪神淡路大震災の折には、その命が生かされました。
実はそれに加え、私は2歳の時にも九死に一生を得た経験を持つそうです。
両親によると、食事を終えた私は遊びたかったのか家を飛び出したとのこと。
直後、キキィ〜ッ!という車の急ブレーキの音。
慌てて母が駆けつけると、私が茫然自失の状態で立ち尽くしていたとか。
幸いケガもないようだったため、
運転手さんに「急に飛び出して申し訳ありません」と、とにかく謝り
改めて私を見ると、
服のお腹部分(幼児体型なのと満腹だったのとで膨らんでいた)が薄黒くなっていて、
車の扉は、ちょうどその高さの汚れが横長に拭い取られた状態だったと…。
つまり、あとわずかに前のめりにでもなっていたら、
ほんの0コンマ何秒かでも早く外に出ていたら、私はこの世にはいなかったのです。

“生きて”いるのではなく、“生かされて”いる。
だとすれば、この命の持つ意味は何なのか、
生かされた私が果たすべき役割とはいったい?
伯父の逝去に際し、改めて思いを巡らし模索しています。
きっと、あなたにも私にも生かされている理由があるはずだと思うから。

(心の赴くままに書き綴った拙文ですので、筋の通っていない箇所や
わかりにくい箇所、重い部分もあるかもしれません。ご容赦ください)

posted by 奈月 at 17:35 | 兵庫 ☁ | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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