2008年11月01日

Qちゃん引退。アシックス三村さんの思い。

2000年シドニー・オリンピック、女子マラソン金メダリストの
Qちゃんこと高橋尚子選手が、先日、引退を発表しましたね。
36歳での決断でした。

私がラジオ関西(本社:兵庫県神戸市)で担当している番組でも
高橋選手引退のニュースを取り上げることになりましたが、
取材する上で外せなかったのが、
地元・神戸の企業、アシックスの三村仁司さんです。
三村さんは神戸市西区にある
アシックスのスポーツ工学研究所に籍を置くシューズ職人。
高橋選手の走りを、シューズを作るという面から10年以上支えてきた方です。

早速アシックスの広報にお電話したところ、直接スポーツ工学研究所へとのこと。
しかし研究所へ連絡を入れても、当然のことながら三村さんには取材が集中。
担当の女性も「いつ本人が空くかはわからない」とおっしゃっていたのですが、
何とラッキーなことに、2度目にお電話した際、
三村さんご本人がお電話を取って下さったのです!!!

色々と伺いました。
放送ではご紹介しなかったお話も含めて、ここでご披露しましょう。

高橋選手から三村さんへは、引退発表があった10月28日の朝、
「自分の走りができなくなったため」引退する旨と
「お世話になったのでお礼が言いたかった」と、
これまでの支えに対する感謝を記した携帯メールが届いたそうです。

三村さんがおっしゃるには
「出場する予定だった東京国際女子マラソンのため、
3週間前に東京へシューズを送ったところだった。
高い目標を持ち、誰も達成したことのない
3大大会(東京国際、大阪国際、名古屋国際)連続出場が
達成されるかと期待していたので残念。
とても寂しいが、本人が一番寂しく、悔しいと思う」と。

高橋選手は今年の5月に三村さんのもとを訪れ、
新しく作ったシューズを携えて渡米。
三村さんの印象では「今年の8月までは調子が良かった。」そうです。

しかし三村さん、実は一昨年あたりから高橋選手の変化を感じていました。
それは、高橋選手の足の大きさが、
体重が多い時と絞り込んだ時で違うことを知っている
シューズ職人でなければわかり得ないことでした。

足の測定に来る頃の高橋選手の体重は、通常
レースの時より8kg〜10kgほど多い状態なのだそうです。
そこから走りこんでレースに臨む頃には、
体重が落ちるとともに、足の大きさも7mm〜8mmほど小さくなる。
そこで三村さんはこれまで、
高橋選手のトレーニングの進み具合と、足の大きさの変化に合わせて
シューズを作っては届けるという作業を繰り返してきました。
それが昨年は、体重が増減しても足の大きさは変化しなくなってきていて、
おかしいと思ったというのです。

変化を具体的に表すのが、三村さんが作ったシューズの数。

金メダルを取った、つまり高橋選手が好調だったシドニー・オリンピックでは、
本番までのたった2ヶ月間だけで40足のシューズが必要でした。
ところが、出場する予定だった今月の東京国際に向けては
5月からの5ヶ月間で、15足しか作らなかったとのこと。

三村さんは
「実は・・・昨年あたりから、もう無理ではないかという気がしていた」と
告白して下さいました。

そんな三村さんに、改めて高橋選手との思い出をお尋ねすると、
やはり大きな大会が印象に残っているとのことでした。

2000年のシドニー・オリンピックでは、三村さんの秘策が金メダルにつながりました。
足の長さが左右で8mm違う高橋選手。
オリンピック前の大会ではレース終了後に「足が痛い」と訴えました。
そこで三村さんが、左右の足の長さを揃える工夫を施したシューズを提案したところ
高橋選手はそれを断ったのですが、
シューズ職人の勘で「このままではいけない」と判断。
本人に内緒で、足の長さの違いを補うシューズを用意したところ、
高橋選手は、そのシューズを履いて走って金メダルを獲得!
レースの後、三村さんが「実は・・・」と本当のことを話すと
高橋選手は「そうだったんですか?わかりませんでした」と
満面の笑顔で答えたということです。

また翌年、当時の世界最高記録を出したベルリン・マラソンでは、
レースの1週間前になって高橋選手から
「足のサイズが小さくなったから、靴を作り直して欲しい」と電話が入りました。
折りしも工場が連休に入るタイミング。
三村さんは「無理だ」と伝えました。
しかし高橋選手は、受話器の向こうで泣いて懇願しています。
その時、三村さんの頭を過ぎったのは
「マラソンは2時間を超える長丁場なだけに、
たとえ体調が良くても、精神的な不安があると結果に大きく影響する。
120%の状態でスタートラインに立ってこそ結果が出る」ということ。
高橋選手の望みを叶えたいと強く思った三村さんは、
スタッフに連休をずらすなどの協力を仰ぎました。
そして、何とか新しいシューズを仕上げたのが大会の3日前。
シューズはその次の日、三村さん自ら飛行機に乗ってベルリンへ届けました。
そんなエピソードがあっただけに
偉大な記録が打ち立てられた時は、感慨ひとしおだったそうです。

高橋選手の引退に際して三村さんは
「生身の体。いつかはリタイヤする時が来る。
今まで第一線で、日本のアスリートを勇気付ける試合をしてきたことに
『お疲れさん、頑張ってきてくれてありがとう』としか言いようがない。
先のことは、これからはゆっくり休んで考えて。
個人的には、若い人の指導なり何らかの形でマラソンに携わって欲しい」と
思いを語って下さいました。
そして最後に「あ、結婚してっていうのもいいかな?」と・・・。

三村さんとQちゃんはマラソンで結ばれていましたが、
マラソンだけで結ばれていたのではないのだと感じました。
posted by 奈月 at 19:28| 兵庫 晴れ| Comment(4) | 素敵な人々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
三村さんに職人魂を感じます。高橋さんには、何かの形でマラソンに関わって欲しいと思います。
Posted by とう山の銀さん at 2008年11月02日 18:20
これでQちゃんも金メダリストの走りを見せなくてはいけないという呪縛から解放され、
タイムを気にせず、楽しんで走れるんじゃないですか?

レースで気温30℃を越える中、時速20キロで2時間以上走り続けるって
人間技じゃないです。
それは常人の想像を絶する苦行だったと思いますよ
Posted by アンギラス山田 at 2008年11月03日 21:16
一流のレベルで勝負する方を見てて共通する思いは、日々進化(変化)することでモチベーションを保つ術を知っているんだなということです。
そらこんなギリギリの世界で闘っていくんだから選手生命は短いはずですわ。
で、我に還って凡人レベルは、ま〜だまだ自分を追い込む余地がありまくるということでしょうか。猛省!
Posted by ニュー豚(とん)のたまご at 2008年11月04日 20:08

今日、高橋さんがハーフマラソンで走られた、というニュースを拝見しました。選手という形ではなくてこういうやり方での走る楽しさを伝えるというスタイル、彼女にあってるんじやないでしょうか?これからも末永くこういうスタイルで頑張って戴きたいと思いました。

Posted by 元祖タッキー at 2008年11月09日 21:47
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